2011年7月31日日曜日

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド *一部ネタバレ

村上春樹ってなぜ絶賛されるんだろう?

世界観が不思議すぎてもう「ふうん」としか思えない。

意味分かんないとかつまんないとかいうことでは無いのに。

どういう読み方していいのか分からない。

一体彼の作品を好きな人って、どういうところでどんな感じ方をしているんだろう。
彼の作品を好きになるくらいの感じ方ってどんなだろう(別に嫌いなわけじゃない)
作品を好きな理由として、独特の言い回しや不思議な世界観をあげる人もいるけど、
いまいちピンと来ない。

多くの人から絶賛され(あるいはまた批判され)ているのに、
その感覚がまったくもって理解の外。

誰かの作品の良し悪しの理由をどんなに聞いても、

「それは良さ(または悪さ)の理由としてあげるには弱すぎるのでは?」

という気がして仕方ない。たぶん、何を言われてもそう。自分の抱く感想さえそう。

解釈の仕方が幅広すぎて、どうすればいいのか分からない。

ビールの味みたいに、分からない人にはとことん分からないのか?

それなのに、展開やストーリーは理解できるし、ネットであげられる感想にも共感できるところがあったりするので、抽象絵画のように「こんなの理解できねェよ」と強く思うことも、「好きな人は好きなんだ」と納得することも出来ない。

だから、どう楽しめばいいのか分からない。


本作品での部分的な感想を述べてみる。

ストーリーも構成も先が読めなかったりで巧み。
文章の書き方が面白い。
1つのモノやコトに対して、見方がすごい。
比喩も独特で、いろいろあったけど一番印象的だったのが「まぐろのようにぐっすりと眠った」

まぐろのようにぐっすりと眠った?

それはどういう種類のぐっすり?つーかまぐろって眠るの?いや寝ないらしいよ。じゃあアレか、もしもマグロが熟睡することがあったら、ふだん熟睡しない分めちゃくちゃぐっすりするよね的な?それとも単に、文章の響きが良かったから採用?よく分かんないけど、なんかすごく衝撃。

でもここは絶対重要なトコじゃないな、先に進もう。


世界の終わりで“僕”が影と分かれる理由。

「この街をつくりだしたのは僕だから、ここに残る義務があり、責任がある。
放り出すわけにはいかない」

ここに来て、こんな単純な理由でよろしいの?
今まで(設定やストーリーは別として)、すごく想像力を働かせ深読みしなければ理解できない感じが続いてたけど、そのままの意味として読み取ってよいの?

なんだか、抽象的な言い回しが多いだけに、
時々ストレートな文章に出会うと、すごく陳腐な気が。

あるいは、心を持つことは辛いことだけどそれを抱いて人は生きていかなければならない、というようなことを強調するための展開?
でも、元の世界に戻ってもそれは同じ?
大体影だけもどったら、“私”の意識はどーなんの?

…なんかもう、こんな感想や疑問さえ、弱すぎてあまり重要じゃない気がしてしまう。

この作品に感想を述べるという行為自体が、一生懸命雲をつかもうとしてる感じがして仕方ない。

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